■水戸黄門と藪知らず

テレビドラマでもおなじみの「水戸黄門」とは、江戸時代初期の水戸徳川家二代目の藩主であった徳川光圀のことです。 官位が中納言(黄門)であったために、水戸黄門と呼ばれました。

光圀は、『大日本史』の編纂をしたことで知られていますが、領内では「八幡改め」などの厳しい宗教政策を断行した専制君主でもありました。 また、平将門を逆臣としたのも光圀でした。

光圀が、助さん・格さんを連れて、世直しのために全国を漫遊したとされる有名な「水戸黄門漫遊譚 [まんゆうたん] 」は、光圀の名声と、光圀が鎌倉に旅行した時の紀行文である『甲寅紀行 [こういんきこう] 』などを基にして成立したと言われています。 しかし、実際の光圀は、領内の巡視や江戸と水戸との往復以外には、ほとんど領外に出たことはありませんでした。

「藪しらず」の伝承の中には、光圀が登場するものがあります。 これは、幕末の尊皇攘夷思想と共に光圀の人気が高まっていく中で、将門を「逆臣」とした光圀が、藪知らずの将門伝承と結びつけられることで生まれたと考えられます。

創作狂言「水戸黄門と藪しらず」へ

藪しらずの伝承と、水戸黄門こと水戸光圀の事績とが結びついて、今回の創作狂言「水戸黄門と藪しらず」が生まれました。

「本当は気の弱い人間が、強がったために怖い思いをする」という筋立ては、狂言「弓矢太郎」をベースとしています。 そこに「藪しらず」の伝承が結びつき、「名君として名高い水戸黄門が、実はわがままで気が弱い普通の人間だった」という大胆で現代的な創作が加わることで、狂言特有の「権力者に対する鋭い風刺」のきいた作品となっています。

葛飾八幡宮をつぶそうとする水戸黄門と、「入ると出られない」という藪しらずの話を持ち出してそれを阻止しようとする氏子たち−−−この結末には、いつの時代も変わらない人々の心情を描いた伝統的な狂言の趣向が生かされています。

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